みなさんこんにちは、廃道大好き”ハッキれん”です。
※今回は尾崎的表現が多く含まれていますが、特に深い意味は無いです。誤解ないように。

歩道橋の日

東京都渋谷区の渋谷クロスタワー近くの歩道橋には、90年代以降4月25日に多くの若者が集まりメッセージを書き込む風景がみられるという。
調べてみるとその日は『歩道橋の日』に制定されていた。
若者たちが?
なぜ歩道橋の日?
じつはこの日は尾崎豊の命日で、この渋谷クロスタワーのテラス(歩道橋から繋がっています)は尾崎が高校時代に、学校(青山学院高等部)帰りによくそこから夕日を眺めていたんだそうです。死後この場所には尾崎豊の歌碑が造られ、尾崎ファンの聖地になっているんです。
なるほど、だからなのか・・・・・・・、と思ったら全然違った。
歩道橋の日は1963年(昭和38年)の4月25日に、大阪駅前に日本初の横断歩道橋が完成したことを記念してのことだそうです。
で、調べてみるとこの歩道橋は松下電器が建設して大阪市に寄贈したもので、当時日本最大の大きさだったそう。
たしかに梅田駅前の歩道橋は大きいですよね。あの大きさなら日本最大でも・・・・?
ん?おかしくないか?



日本初だったら、どんな大きさでも最大でしょ?
そこでさらに調べてみるとやはり当時歩道橋は他にもあった。
で、日本最初の歩道橋は1959年(昭和34年)愛知県にあった。
今の清須市(当時は西枇杷島町)に。
ではなぜ大阪駅前の歩道橋が日本初の歩道橋なのか?
歩道橋の日の制定理由は正しいのか?
おそらくそこには『おとなの事情』という政治的圧力があったのでは?
大企業が寄贈したからなのか?
それを美化するためにはその他の歴史は抹殺してもいいのか?
汚いやりかただ・・・。
・・・やはり大人を信じちゃいけない。
しかし、日本最初の歩道橋はまだ現存している。
仕組まれた自由に誰も気付かずにあがいた日々も終わる
たしかめなきゃ。
そこで真実を見に行ってみた。
盗んだバイクで・・・・、



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↑スタート地点
今回は清洲城跡公園から県道67号線(旧国道22号線)を南下して目的地を目指す。



↓公園駐車場はこんな感じ。写真左にJRの線路(東海道本線)があり、その線路の向こうにもう一箇所駐車場がある。
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まず駐車場を出ていったん左に向かう。
車は右折のみだが、左にはJR線と公園の間に歩道がある。
ここを通って公園の南側に出る。
↓歩道入口
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↓公園とJR線との間の遊歩道
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右のJRの土手はもう夏草が猛威を振るっている。
この日は気温も高く日陰から出ると夏の猛烈な日差しが襲ってくる。
あぁ、あんまり先に進みたくないなぁ・・・・。
この先は五条川の右岸堤防道路に直角にぶつかる。
そこからは対岸に清洲城が見えてくるはず。



で、堤防道路から
↓清洲城  といっても模擬天守(当時の資料に乏しく再現は難しかったため)
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最上階の回廊は展望施設として最初から計画されていたそうです。
立っている場所もだいたい本丸跡らしいですが、この辺りだろうという推測で建てられたようです。
旧清洲町制100周年を記念して平成元年に再建された清洲城。
城跡もJRの東海道本線と東海道新幹線に分断されて、かつての遺構も土塁程度しか残ってない現状。
清洲城は歴史的にも信長の居城だったこともあり、本能寺の変の後は清洲会議が行われた城。
しかしその後の名古屋城築城に伴い取り壊されてしまう。


町を挙げての記念事業で何とか再建されたが、歴史的価値という点では少々疑問の残る城だ。
なので城マニアからは冷たい目で見られていたりする。
それでも歴史の教科書に名前が出てくる城なんですけどねぇ・・・、と優位性を主張してみても
先生あなたはか弱き大人の代弁者なのか
と言われてしまいそうだ。

↓五条川を渡る橋
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↓橋の上から上流方向を撮影 遠くに見えるのが東名阪自動車道
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このまま橋を渡り城跡を迂回して南下していく。
このまま県道に出たいが、交通量が多いため一旦住宅地の中を進む。





↓現在地
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住宅地を抜け、キリンビールさんの工場付近へやってきた。
このまま工場の敷地沿いに南下を続ける。


キリンビールさんの工場
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このあたりには工場関係の敷地がたくさんある。
従業員の駐車場や、回収したカラ樽置き場なんかもあったりする。
それらは付近住民の迷惑にならないよう整理されて片付けられている。
しかしその光景を見ると思わず
行儀よく真面目なんてクソくらえと思ったりする。


道を突き当たって左折し県道に出る。


↓現在地
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県道に合流した地点はキリンビールさんとエネオスさんのスタンドが並んでいる。

↓ネクステージ中部 清洲店さん
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ちょうどお昼が近付いてきた
工場のサイレンが鳴る

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県道沿いをしばらく進むと交差点があって工場の正門になる。
ここは工場入口ともう一つキリンビール直営のレストラン『キリンビアパーク』がある。
清須市に対して納税してくれている大切な会社ですね。
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ランチとディナーの営業があって、当然自慢のビールに合う料理を多数用意してくれている。
実は1度ランチを食べに行ったことがあるが、かなりうまかった。
が、今日はとりあえずおあずけで・・・。



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キリンビールさんを通過して新川を越える橋を渡る。
ここらあたりは交通量も多く、信号で長い列を車が作っている。あぁ、渋滞やだ。

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枇杷島の駅も近くなり、駅に向かう人もちらほら見られるようになる。
車は相変わらず信号待ちで渋滞を繰り返している。
ただでさえ高い気温が余計に上がったように感じる。
みんな急いでどこに行くんだろう。
人や車の流れを自分の寂しさのように見ていた
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↓現在地
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やがて左手に清須警察署とJP(郵便局ね)が見えてきた。
かつての西枇杷島警察と西枇杷島郵便局だ。
市町村合併で清須市になって名前が変わったが受け持つ範囲は変わらない。
そして反対の右手側にはJRの枇杷島駅がある。
現在駅前ロータリーの建設中だ。今は改札は線路の向こう側にしかないが、これが完成すればこちらからでも改札を通過できる。実に便利になる。

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駅のロータリー建設に合わせて駅前の再開発も進んでいる。
今までは何もなかったこの駅前の土地に新たな投資が繰り返されている。
その姿は逆らおうにも逆らえない開発と言う名の巨大な権力のようだ。
それを見ていると
否が応でも社会に飲み込まれてしまうものさ
なんて考えてしまう。
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それにしても暑い。
暑い、暑い。
頭がクラクラしてきそうだ・・・。
アスファルトが蒸されて周囲の空気自体がサウナのようだ。
あぁ・・・息苦しい、意識が遠のきそう。
だが
俺はまだダメになりゃしないさ
だって、目的地はもうすぐそこ・・・。
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日本最古の歩道橋が見えてきた。
歴史の闇に葬られた(そんなことは無いです)歩道橋が・・・、
見える。たしかに、そこにある。
今、
俺は真実へと歩いて行く

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いま、ゆっくりと近づく
その姿は忘れられた記念碑のようにそこにたたずんでいた。
日本最古にして、今でも現役の歩道橋。
完成当時の名は『学童専用陸橋』←最初なんで歩道橋と言う呼び名がまだ無かった
ついにたどり着いた。
その目的地に、



いま
自由になれた気がした
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機能としては他の歩道橋と変わらないですが、
その建築様式は歩道橋よりも純粋な『橋』としての性格が強いように思う。
その後『日本初』という名誉が後発の他の歩道橋に奪われてしまう歩道橋
日本で最初にこれを建造した人たちは、
行政により仕組まれた罠にはまり、歴史の闇に葬られたことを知ったとき、
裏切りを知ったその日は 人目も気にせずに泣いた
のでは無いかと心配になったりする。
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歩道橋に到着し、西側のJR線から見た歩道橋
歩道橋横の車道の狭さが気になる。


それでは、歩道橋を渡ってみる。
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コンクリートの階段を上がっていく。
日本最古ではあるが、今だ現役であることが伝わってくる堅牢さだ。
蹴上げが小さく、踏代も充分確保されている。
上りやすい。


上がりきったところから、東側を
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この歩道橋は当然ながら建ってからずっとここにある。
今までたくさんの人がここを渡ったはずだ。
そのそれぞれの人に思い出となる景色を見せてきたはず。
あの頃僕が見ていたガードレール越しの黄昏・・・。



↓歩道橋から南側(名古屋方面)
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↓歩道橋から北側(稲沢方面)
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渡りきって階段上から振り向いて西側を撮影 JRの高架が見える。
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階段の上から下を覗き込んで、
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この歩道橋は、小学生の交通死亡事故が原因で造られることになる。
日本のモータリゼーションとともに訪れた 交通事故
自動車は移動の自由と引き換えに、歩行の自由を奪ってしまった。


自由っていったいなんだい

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歩道橋東側から撮影
この場所で ずっとこの町の歴史を見てきた歩道橋
見てきたはずだ
街の風にひきさかれ 舞い上がった夢くずが


残念なことに、この歩道橋は道路拡張工事のため近年には取り壊されるらしい。
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これが日本最初の歩道橋の現在だ。
機能に徹し、あえて主張することを控えるその姿は
ここでずっとこの町の安全を守ってきたはずだ。
その姿はある意味美しい。
そんな姿を見ていると
ちっぽけな俺の心に空っ風が吹いてくる




あぁ会社や家には帰りたくない。

 

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