みなさん こんにちは”廃道大好き”ハッキれん です。
長野隧道を探す。
国道の旧トンネルである長野隧道は、今は廃道になった道にあるそうだ。
それなりに情報は集めてからの探索のため、
実はもう目処は着いている。
どこにあって、
どうなっているかも・・・。
そして今回は敢えてその情報をなるべく出さないことにする。
理由はいろいろある。
まず宝探し感覚を楽しんで欲しい。
それにもし誰かがマネをして、事件事故に巻き込まれるのが心配される。
そうなればこの隧道も完全閉鎖されてしまいかねないからだ。
とりあえず、このブログで現状の状態を確認して行った気になってほしい。
↓現在地
新道と旧道の分岐点にいる。
右が新道のバイパストンネル『新長野トンネル』。今年の夏に開通したばかりだ。
『新長野トンネル』はここから一気に山を突き抜けていくことになるが、旧道はまだ上り坂が続く。
今から目指す長野隧道は当然だが旧道側にある。
旧道には通行止めの予告看板があった。
12月1日から『旧長野トンネル』は通行止めになるらしい。今回の取材当日はまだ11月だったためまだ通過可能である。
どうやら新トンネルが開通したため、旧トンネルの除雪作業を行わない方針のよう。そのために通行止め処置とする旨の看板も立てられていた。
旧道とはいえ最近まで現役だった道を上っていくと、やがて右手に分岐が現れる。
その分岐の手前にはちょっとした駐車スペースと何やら石碑めいたもの(実はこの石碑が・・・)が置かれている。
ここの分岐から右折していくのは工事関係の車輌だけのようで、この先に何があるかは容易に想像できる。
とりあえずこの駐車場に車を停め、あたりの様子を観察してみる。
地図によるとこの先にあるのが旧長野トンネル。
↓現在地
徒歩でそのまま旧トンネルを目指してみる。
旧道だけあって交通量はごく僅かで、あっても先ほどの分岐を曲がっていく工事車輌程度のようだ。
この分だとこの道の廃道化もそう遠くない事かもしれない。事実この旧道区間にはどうしてもここを通らなければならない説得力に欠ける。沿道には山しかなく、林業関係者以外ではマニアでもなければ踏み込む必要が無いようだ。
目の前に旧長野トンネル(地図では長野隧道と表記されている)が見えてきた。
トンネル手前の電光掲示板には気温の表示がされていた。
5℃ですか・・・。
そしてこの場所の携帯電話は、懐かしの『圏外』表示・・・。
旧隧道の前までやってきた。
高さ制限の鉄骨が門のように聳え立つ。横幅も取り付き道路からすると狭くなっているが、一応2車線を維持しているようだ。
直線トンネルなので向こうの明かりが見えているので、大型車輌などは進入前に対向車の確認がし易いのが親切でいい。
『道隧野長』右読みなのが歴史を感じさせる。
が、これが近代土木遺産Bランクの『長野隧道』ではない。
この隧道は昭和10年完成のコンクリート製、Bランク『長野隧道』は資料によれば総石造りだそうだ。
実は事前調査で旧隧道がどこにあるかは分かっていた。
なので今からそこに向かうが、その道筋はここでは伏せておくことにする。
事前調査により旧隧道への道はすでに廃道になっていること。そしてその隧道が閉塞していることは分かっている。つまりそこに向かうことはそれ相応の危険を含んでいるということだ。ここから先は言い訳の利かない自己責任の世界。
【このブログの注意事項】
ここから紹介する道は通行するのに適していない非常に危険な道です。
このブログを見て安易にまねをした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性がある内容が含まれています。
当ブログを参考にあなたがこの場所に赴き、そこで事件・事故等に遭遇した場合でも、すべては自己責任で解決してください。このブログの管理者はその責任を負いません。
あらかじめ目処をつけていた斜面を登ることにする。
見上げると上方5メートル程に平場らしきものがあるように見える。道だ。
予想通りそこには登山道か林業用の道が存在していた。
まだ現役で使われているようで、しっかりと踏み固められている路面は歩くのにはまったく支障はない。
さっき登って来た斜面に繋がる小さな沢がその道を分断していた。そこには小さな木橋が架けられている。
伐採した木をそのまま渡しただけのようなこの木橋。相当の年月を経てこの場所に存在し続けるようだ。
両端の丸木がその間の丸木よりすこし太い径のものを使われているのがセンス(?)を感じさせる。しかし苔むしてもう一部腐食が進んでいるようだ。
ここを進むのに、やはりこの橋を渡るのが礼儀ではないかと思われるわけだが、どう見ても渡橋者の体重を支えられる強度を維持しているようには見えない。架橋当初はおとなの体重でも支えられただろうが、今この状態ではそれが可能かは大きな疑問だ。
子供の頃はこんなシュチュエーションに遭遇すれば迷わず渡っていただろう。おとなになった今は目の前の状況を冷静に分析し判断できる知識と経験を手に入れたが、逆に純粋な冒険心と軽い体重をなくしてしまったようだ。ここは冷静に判断して橋を渡らずその横の堰堤(と言うほどでもないが)を飛び越えることにする。
小さな谷を越えた先には木造の小さな雨よけが設置されていた。
おそらく林業関係者の設備と思われる。まだまだ現役の施設のようだ。
雨よけ屋根のあたりまではまだ広い道幅を維持していた道はそこを過ぎると一気に狭くなり、人一人がやっと通れるような広さになった。路面も踏み場を間違えるとそのまま崖下まで滑り落ちそうな状態になる。
今回の最難関区間だ。
滑りそうな細道を越えるとちょっとした広場に出た。
ちょうど旧道の長野隧道の真上のあたりにある場所だ。高さ制限の鉄骨を裏側から見下ろす形になる。
この広場はどうも植林された場所のようで、杉の木が整然と並んでいた。
手前の木に何かマーキングめいたものが描かれているが、
けっして『ブレア ウィッチ・・・』的なものではない。
そして、現地ではこの場所から見えていた。
上の写真にも写っているんだが分かりにくいが・・・・。
植林広場の先の開けた場所の奥にそれはあった。
総石造りのまるで古代遺跡のような姿。
近代土木遺産 Bランク 旧長野隧道
新設の新長野トンネルから数えると、旧旧隧道だ。
明治18年6月15日竣工の総石造隧道 全長216メートルの長さを持つ。
はっきり言って圧倒された。
そのデカさと迫力に・・・。こんな山奥に(あることは知っていたが)あることに違和感を覚え、その緑色の苔むした姿に目を奪われた。これは現実か? 思わずモルダーとスカリーを呼びそうになった・・・。
内部は崩落し閉塞しているため安全に配慮して地元自治体によりフェンスが設置されていた。
このフェンスは比較的新しい。調べたところによると、今年の初夏の頃にはまだ内部に入れたようなので、最近になって設置されたものだろう。まぁ、今でもその気があれば進入は可能・・・。
翼壁(ウイング)部分も当然石積み。
付け柱(ピラスター)も石積み、しかもデカい。
巨大な要石(キーストーン)と整然と積まれた迫石、どれも大きい。
しかも当時の土木技術でこれらの石を削って積んだという事実に驚く。これは正に巨石文化の遺跡級だ。
要石の上の剥がされた部分には扁額があったはず。さっきの駐車場の後ろにあった石碑めいたものが実はこの隧道の扁額なのである。
苔むした巨石で組まれたこの坑門(ポータル)の迫力は、残念ながら写真では伝わらない。
現地で対面して初めてその荘厳でいて異様な雰囲気を感じ取れる。
役目を終えて山中にヒッソリと佇む姿はもう遺跡以外の何物でもない。
明治期に伊賀街道として整備されたこの道は、総工費10万5776円という高額な工費により開通した長野隧道によりそれまでの長野峠を通ることなく上野と津を結ぶ道路として発展を遂げてきた。
その後モータリゼーションの進歩とともに 新長野隧道 新長野トンネル と道は新しく造りかえられてきた。今使われなくなったこの旧長野隧道は静かに時の過ぎ行くのを待っている状態だ。おそらくここで事件・事故等が発生すれば、こんな危険なものは埋めてしまえという風潮が一気に加速して行くに違いない。現状はこの仮設フェンスが精一杯の予算割り当てと思われるため、しばらくはこのままの姿を見ることも可能だ。
くれぐれも事件・事故には注意を!
【次回 予告】
トンネルには
入口が2つあるもの
西側の入口はどうなっているのか?
そこに巨石文明の遺跡は存在するのか?